『不動岩最西部(西壁)の再生物語』

文・森川博雄
(注;ホームページに掲載するに当たって、管理者(山本朋)が加筆・訂正しました。この文章の著作権は「アドバンス・クライミング・スピリッツ」にあります。無断転載はご遠慮下さい)

はじめに・・・
 再生作業から数年が経過したが、周囲の様々な意見コメントを慮って、これまで経緯・概要を公表したことはなく、このホームページが初の掲載となる。
 ごく限られた関係者への紹介を除いて公式な発表をしなかったにもかかわらず、休日には絶えずクライマーが当該エリアを訪れるようになった。賑わうとりつきに立つと、岩から下がったツララを払いつつ作業したことや、草付きがゆるむ雨の日に泥だらけになりながら掃除を行ったことを懐かしく思い起こされる。

ルートができるまで・・・
@エリアのブラッシュアップ
 過去に登られていた経歴があるとはいえ、長い時間の中でわずかを除いて登攀は出来ない状態となっていた。
 岩にこびりついたこけを落とし、繁茂する草を刈り、浮き石を除去する。作業中、大木七岩が不安定な状態で岩棚に乗っているだけなのが判明し、これにロープをかけた上で落下させるなどした。
 こうした作業中はとにかくほこりがひどく、これをさけるために雨具を羽織り、目にはゴーグルをかけた。夏場であったならさぞ暑い思いをしたことだろう。かといって、雪降る中風に吹かれながら、タワシを扱うのも辛かった。
1日の作業を済ませて電車に乗り込んだ一同の身体からは特有のかび臭いにおいが漂う。
A終了点の設置
 堕胎対のブラッシュアップが終わった時点で、ラインとなるあたりの目途をつけ、終了点を架設する。50mロープで無理なく登攀できることを念頭に置いた。後に試登に加わったクライマーから「もう少し手前にもうけては」との指摘を受けたが長い距離を登ることも練習のうちと判断してそのままとした。
 終了点は一般的に用いられているような3点ボルトにロープを通す形とした。参加メンバーより大量のシャックルの提供を受け、これを使用した。
B各種パーツ
 
メンバーの家に眠る古いロープ、ほうき、ブラシ類、工具類などを集める。多数のハンガーを確保するため、少しでも安い店を探してあちこちかけずり回った。かなりまとまった数になるため、輸入代理店からの直接購入も検討したが失敗に終わった。
C試験登攀
 
メンバーから提供された古いロープを固定、候補のムーヴをチェック。「これは!」と思えるラインが決まっていれば、支点間距離やホールドの具合を見ながらハンガー位置を模索する。
Dハンガー設置
 大阪ぽっぽ会より拝借した電動ドリルでもってドリリング。各人がパーツを持ち寄っての作業につき、ボルトも複数の口径・種類が混在、ハンガーも2種類を用いている。 
支点については、安全性を優先し、十分な強度を得られるよう設置した。その中でラインの性格・位置等を勘案し、求められる強度に応じてパーツを選択した。
 不自然は姿勢でドリルを扱い、ちょうどの深さになるようボルト穴をを穿つ。重量物(ドリル、ボルト・ハンガー類、工具、ハンマー等)を腰につるし、ロープにぶら下がる作業は時に1時間以上にも及び、帰りには腰をたたきつつ道場駅に向かうのが常であった。
 作業に加わって初めてボルトにもピッチ数規格があることを知った。口径が合っていても、ピッチ数が違えばボルトとあたまが適合せず、使用できない。知らずに山ほどのボルトを腰に下げてハンガー位置まで登っても後の祭りで、再び降下してやり直しである。
 1ラインあたりの支点数がおおいことでご意見もあろうが、リード経験の少ない人でもとりつきやすい環境を提供するため、敢えてボルトは多く打った。上級者の方に対しては寛大なご容赦をお願いしたい。
E初登のその日には 
 支点の設置が終わるといよいよ新ラインを初登となる。考え考え作った箇所ではあるが、初登となるとずいぶん緊張する。経験豊富なベテランはそうでもないかもしれないが、生まれて初めて作った自分のラインを初登する場合にはたいへん緊張した。
 首尾良く渡来が終わるとその晩は道場駅前で初登者がビールを振る舞う。「クライミングをやっていてよかった」と、感じる最高の気分であった。
F周辺の整備
 エリアは沢状の地形であり、都立寄付金も傾斜していた。ここに装備を置いた場合、しばしば転落するため、落とした草付きや泥をならし、最後にはあり合わせの枝や石をを組み合わせて土止めの柵をこしらえた。
 最終的にはアプローチとなるスカーフェイス付近のトラバース、「御懐妊」左手の壁にも鉄梯子を設置した。
Gエリア図の作成
一連の作業が完了した時点で岩場の概要と、各ラインの位置、支点の数などを図面に落とし込んでいかねばならない。これまでずっと作業を行っていて、岩の形や特徴を知っていてもなかなかそれらを平面に書き込んでゆくのは難しい。ねじれが生じたり、場所によって縮尺が異なったりした。これまで雑誌やルート図集に掲載された図面を何気なく見ていたが、うまく書いてあるものだ改めて感心することもしばしばであった。
終わりに・・・
 道場一体が薄く雪にまとう中、思い資材の荷揚げを行った当初から作業作業の進捗とともに季節は移り、うっすらと漂う花の香りを楽しみながら、弁当をほおばったこと、そして木々の新芽が日増しに色濃くなってゆくのを眺めたこと・・・。さすがに毎週末にずっと1カ所に通い続けたことはそれまでなかったため、自然の移り変わりを感じながら作業を進めてゆくのは大変楽しいものであった。

終わりに                            

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